チラシの裏に書くようなことを徒然と。
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中島らものガダラの豚です。
たしかどこかのサイトで徹夜で読んじゃう小説として絶賛されていたのが、きっかけだったと思います。
さて、本作ですが、そのタイトル「ガダラの豚」とは、マタイ福音書の5章で語られる、ガダラ地方を訪れたイエスが悪霊を豚に封じ込めるお話が元です。作中でも呪術師オニャピデとスコット神父の会話で触れられていますけどね。
3巻完結の作品ですが、1冊ずつでもキリの良いところで終わっているのでそれぞれ楽しめると思います。特に3巻の展開については賛否両論みたいですし、人によっては2巻までで良いという人もいますし。
さて、あらすじですが続き物ですので、2巻以降のあらすじはネタバレになってしまうことを留意しておいて下さい。
1巻は、作品全体の中では人物紹介と趣旨の解説に当たりますが、新興宗教にハマッてしまった妻を救うため、民俗学教授・大生部と、超能力ハンターのミスターミラクルが宗教の闇を暴く!という痛快エンタメ小説としてまとまった作品です。ここでは超能力・新興宗教・トリックといったキーワードをベースに大生部家の崩壊と再生が描かれています。
2巻は、テレビ局の特番取材によって念願のアフリカでのフィールドワークへ向かう教授一行の話。クミナタトゥという住民全員が呪術師である村では、強力な呪術師であるバキリに実質支配されていた。バキリとの面会を果たした一行は、彼の持つ強力な呪術具である”バナナのキジーツ”を奪うこととなる。アフリカのケニア・ウガンダを舞台としていますが、その民族性・風土を事細かに、時にはコミカルに表現しています。
3巻は、日本に帰ってきた大生部教授一行は、家庭の問題も解決し普段の生活に戻っていた。しかし呪術師バキリが日本に来ていることを知ることとなる。バキリによって次々と殺されていく人々。教授はテレビ局の特番によってバキリとの直接対決に挑むのだった。最終巻は、今までとは打って変わって大スペクタクルのエンターテイメント。
あらすじとしてはこんなところです。
以下は完全にネタバレとなりますので、ご注意をば。
いやーしかし徹夜はしなかったものの、その気持ちも分からいでか、というぐらいのとにかく面白い小説でした。私は普段小説を読むのに費やす時間というのは短く(大体ゲームに費やしてしまいますからねw)、昼休みに少しずつ読む程度なのですが、寝る前にふとした時に手にした本作を読み始めたら止まらなくなっちゃいましたから。まあ冒頭の隆心導師?だったかの話はそんなに面白くはなかったんですけど。
1巻は、私の大好きなドラマである「TRICK」を彷彿とさせるというか、むしろ元ネタだったのかもしれませんが、インチキ新興宗教の超能力を暴いてみせる過程が非常に痛快です。暴く役割をするのがミスターミラクルという元奇術師なのですが、彼も頭から超能力を否定するのではなく、同じ事はトリックを使っても可能であるということを示すだけに留めているのが良いですよね。今目で見た現実がこの場で科学で説明出来ないからといってすぐに飛びついてしまうのは良くないよ、と警鐘を鳴らしている程度です。
で、個人的に一番好きな2巻のアフリカ編。ここは中島らも氏がよく研究したんだなあと感心するばかりでした。ケニア・ウガンダにおける呪術師の役割や風土などを民俗学教授である大生部教授が本領を発揮して、丁寧かつユーモラスに解説してくれて非常に興味深い内容でした。アフリカの文化ってあまり興味が沸かなかったのもあって馴染みが薄かったんですが、本書のお陰で親近感が沸きましたね。
科学的な観点から見れば意味のないことも、信仰の度合いによって実際に効果が上がるわけです。
我々の生活の中でもプラシーボ効果として活用されていますが、アフリカではその土壌自体が呪術の存在を認めており、人々が畏敬の念を持って扱われています。多数の人間が暮らす中では諍いが起こることは避けて通れません。日本や先進国では法律や裁判所によってトラブルを解決するわけですが、ここではその役目も呪術師が担っているわけですね。
やったやらないの水掛け論になった場合も毒豆を「真実の豆」として互いに食べ合うことで、真実を明らかにするという風習はなるほど、と思わされます。そしてそれが単にプラシーボ効果というだけでなく、後ろめたい気持ちがあるものは、死ぬかもしれないという不安感から少しずつ毒豆を食べてしまい逆に吸収しやすくなって死に至ってしまう。一方で自分に正義があるとわかっているものは、毒豆を食べても死なないと確信しているため、一飲みで豆を摂取し結果死なない。という根付いた風習の裏にもきちんと科学的な推論が成り立つ点も面白いですね。そしてこれもまた、「真実の豆」という呪術具を信仰しているからこそ正しい結果が生まれるわけで、こう考えると信仰による奇跡というのもインチキとは言い切れませんよね。
この辺りは、京極夏彦の百鬼夜行シリーズでも似たようなことを述べていましたね。日本だろうとアフリカだろうとやはり同じ人間。似た風習があるものなんですね。いやあ民俗学って面白い。
2巻では1巻でいまいちいけ好かない超能力青年といった印象の清川が、教授の息子・納と仲良くなって中々微笑ましい人物に描写されていました。そんな清川青年の立ち位置の変遷と同じ様に、1巻では完全にインチキという体だった超常現象の類が、2巻では超常現象が本当に有り得るのか、それともトリックに過ぎないのか、という境目を上手く描いています。
バキリの起こした呪術の大半は、ケニアのマフィアと協力した上でのトリックだったり、裏切り者を利用した情報戦だったりと明らかにはされていましたが、それでも教授の先祖のことを言い当てたり、本当に物凄い呪術師なのかも知れないといった脅威を覚えさせる迫力があります。
そしていろいろな意味で問題の第3巻。私的には読み物としては面白かったのですが、ギリギリのバランスで保っていたオカルトと現実の境目が一気に前者に振り切ってしまった感じです。一応サブリミナル効果による催眠という科学的?な根拠はあるのですが、人々が余りにも簡単に操られすぎて現実味がなさ過ぎるんですよねえ。さらに、1,2巻の中で絆を深めていった大生部達の仲間が、次々と殺されていく展開はホラーなんですが、それに対しての大生部達の怒りとか悲しみとか希薄に感じられてしまったのが残念ですね。ラストなんて教授怒りの覚醒というご都合主義もいいところですし。
とはいえ、面白かったのは間違いないので多少のやり過ぎ感には目をつぶって、終幕に向けての盛り上げ演出だと思えば批判する点でもないとは思いますけどね。
余談ですが、東方関連で静かなブームな秦河勝の話が出たのは少しだけ運命めいたものを感じましたねw 日本書紀で語られた逸話ですが、常世の神として虫を祀る新興宗教の教祖・大生部多(教授の祖先)を懲らしめ、神の中の神と崇められたのが秦河勝だったとされています。
東方心綺楼の秦こころの面を太子から授かったのが、側近である秦河勝だったらしいですね。こころの苗字は秦河勝からきていますね。
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