チラシの裏に書くようなことを徒然と。
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宮部みゆき氏の代表作でもある火車です。ゲーマーとしても有名な氏で、その関連で私の愛するゲーム「ICO」の小説版を書いた人でもあります。そちらは既読済み。宮部みゆき氏の小説を読んだのはICOが初めてだったのですが・・・その評価は・・・推して知るべし。
ただ、それ以前から一流の作家さんであることぐらいは知っていましたし、評価を改めるためにも氏の代表作ぐらいは読んでみようと思って本作を読み始めたわけです、はい。
で、このタイトルにもある火車とは葬式や墓場から死体を奪っていくという妖怪のことで、その特性からある女性の失踪事件に纏わる謎を貫く鍵となっています。
休職中の刑事・本間が親戚から失踪した婚約者を探して欲しいという依頼を受ける。捜査を進めると、その婚約者・関根彰子は自己破産経験者であったが、その手続をした人物と依頼人の婚約者であった人物は容姿も性格も全く違う人間だったことが判明する。本間は本物の関根彰子に成り変わった女性を追う中で、様々な人間と接触し、彼女の過去とその人間性を知ることとなる。
といったようなあらすじです。
以下ネタバレありですのでご注意をば。
あらすじだけだと別段、よくありそうな事件に思えますが、本作の魅力はその構成にあるといっていいでしょう。犯人役が最後の最後まで実際に出てくることはなく、その動機を語るシーンもないという徹底した構成。このミステリーとしては特異といっていい構成と演出は他の作品では味わえないものだと思います。ただそれが人によっては消化不良だったり、単純につまらないという評価にもなってしまうのも仕方がないのですが。
ユーザー側が推理する余地があまりないため、推理小説の括りには当てはまらないと思います。社会派ミステリーというのが一番しっくりきそうですね。1992年の作品ですが本作の重要なテーマである消費者金融についての云々は現代にも通ずるものがありますね。こうした背景から一種の経済小説とも取れるのかも知れません。あるいは社会風刺も込められてるのかも。
本作の面白いところは、終盤では、赤の他人と思われた関根彰子と、新城喬子の接点が判明し、バラバラだったパズルのピースが一つになっていくのですが、決定的な証拠があるわけではなく、全ては本間の妄想に過ぎない可能性すら残されていることですね。何せ犯人の自供は描写されていないのですから。しかし彼女の過去を追うことで、彼女が何を考え、どういう理念で行動していたのかが想像出来て、新城喬子がどのような人間だったのかは出会う前に全て解っていた。だからこそ最後に語られることはなかったわけですね。事件を追っていた本間刑事も幼馴染を殺された保も、彼女を憎むことはありませんでした。ただ、会って話がしたいという思いがあるだけ。
特に印象的だったのは、ラストシーンはもちろんのこと、新城喬子の元夫・栗田が語った回想。実の父親を死んでいて欲しい、頼むから死んでいて、と念じながらページをめくる彼女にはどうしようもない気持ちを抱かせます。
関根彰子の自己破産手続きをした弁護士の「多重債務者となる人間は、結局どこか本人に落ち度があるからだ、と決めつけていませんか?」という問いは、読者の多くがハッとさせられたところだと思います。たしかに私もテレビでの紹介や周りの人間を見て、どうしてああも刹那的に生きられるのだろうと思うことが多々あり、心のどこかで彼らを見下していた節があったことを指摘されたようでドキリとしました。
しかし、その後の弁護士の話を聞いても、それって結局本人の落ち度じゃない?と思うような事柄しか出て来なかったのは肩透かしでしたけどね。サラ金の借金を返すためにサラ金から金を借りる。一時しのぎにしかならないようなことを(やむを得なかったとはいえ)繰り返す行為に落ち度がないなんて誰も言えない気がするんですけどね。同情の余地はあったとしても。この辺が経済小説として受け入れられなかった点なのでしょうか。
まあこんなことも、私が幸せな世界しか見ていないからこそ平気で言える暴言なのかもしれませんけどね。もう少し共感出来る事例を見せてくれたら評価は変わったと思うのですが。
というわけで総評としては、社会派ミステリーとしての秀逸な描写と、特異な構成・演出が映える一流の小説、といった感じ。十分に楽しめる作品ですが、展開自体は地味なので、エンターテイメント性は薄い作品ですね。
ただ、それ以前から一流の作家さんであることぐらいは知っていましたし、評価を改めるためにも氏の代表作ぐらいは読んでみようと思って本作を読み始めたわけです、はい。
で、このタイトルにもある火車とは葬式や墓場から死体を奪っていくという妖怪のことで、その特性からある女性の失踪事件に纏わる謎を貫く鍵となっています。
休職中の刑事・本間が親戚から失踪した婚約者を探して欲しいという依頼を受ける。捜査を進めると、その婚約者・関根彰子は自己破産経験者であったが、その手続をした人物と依頼人の婚約者であった人物は容姿も性格も全く違う人間だったことが判明する。本間は本物の関根彰子に成り変わった女性を追う中で、様々な人間と接触し、彼女の過去とその人間性を知ることとなる。
といったようなあらすじです。
以下ネタバレありですのでご注意をば。
あらすじだけだと別段、よくありそうな事件に思えますが、本作の魅力はその構成にあるといっていいでしょう。犯人役が最後の最後まで実際に出てくることはなく、その動機を語るシーンもないという徹底した構成。このミステリーとしては特異といっていい構成と演出は他の作品では味わえないものだと思います。ただそれが人によっては消化不良だったり、単純につまらないという評価にもなってしまうのも仕方がないのですが。
ユーザー側が推理する余地があまりないため、推理小説の括りには当てはまらないと思います。社会派ミステリーというのが一番しっくりきそうですね。1992年の作品ですが本作の重要なテーマである消費者金融についての云々は現代にも通ずるものがありますね。こうした背景から一種の経済小説とも取れるのかも知れません。あるいは社会風刺も込められてるのかも。
本作の面白いところは、終盤では、赤の他人と思われた関根彰子と、新城喬子の接点が判明し、バラバラだったパズルのピースが一つになっていくのですが、決定的な証拠があるわけではなく、全ては本間の妄想に過ぎない可能性すら残されていることですね。何せ犯人の自供は描写されていないのですから。しかし彼女の過去を追うことで、彼女が何を考え、どういう理念で行動していたのかが想像出来て、新城喬子がどのような人間だったのかは出会う前に全て解っていた。だからこそ最後に語られることはなかったわけですね。事件を追っていた本間刑事も幼馴染を殺された保も、彼女を憎むことはありませんでした。ただ、会って話がしたいという思いがあるだけ。
特に印象的だったのは、ラストシーンはもちろんのこと、新城喬子の元夫・栗田が語った回想。実の父親を死んでいて欲しい、頼むから死んでいて、と念じながらページをめくる彼女にはどうしようもない気持ちを抱かせます。
関根彰子の自己破産手続きをした弁護士の「多重債務者となる人間は、結局どこか本人に落ち度があるからだ、と決めつけていませんか?」という問いは、読者の多くがハッとさせられたところだと思います。たしかに私もテレビでの紹介や周りの人間を見て、どうしてああも刹那的に生きられるのだろうと思うことが多々あり、心のどこかで彼らを見下していた節があったことを指摘されたようでドキリとしました。
しかし、その後の弁護士の話を聞いても、それって結局本人の落ち度じゃない?と思うような事柄しか出て来なかったのは肩透かしでしたけどね。サラ金の借金を返すためにサラ金から金を借りる。一時しのぎにしかならないようなことを(やむを得なかったとはいえ)繰り返す行為に落ち度がないなんて誰も言えない気がするんですけどね。同情の余地はあったとしても。この辺が経済小説として受け入れられなかった点なのでしょうか。
まあこんなことも、私が幸せな世界しか見ていないからこそ平気で言える暴言なのかもしれませんけどね。もう少し共感出来る事例を見せてくれたら評価は変わったと思うのですが。
というわけで総評としては、社会派ミステリーとしての秀逸な描写と、特異な構成・演出が映える一流の小説、といった感じ。十分に楽しめる作品ですが、展開自体は地味なので、エンターテイメント性は薄い作品ですね。
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