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チラシの裏に書くようなことを徒然と。 Since 19,Feb,2007
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夢枕獏より月に呼ばれて海より如来るです。
 
小説として氏の作品を読むのは初めてなのですが、「陰陽師」「餓狼伝」などでも有名な方ですね。
 
主人公・麻生誠は、ヒマラヤ山系に属するネパールのマチャプチャレの頂きを目指していた。地元住民によって崇敬されているその山は、登山が禁止されていたが、麻生の登山チームは秘密裏に登山を行なっていた。長く続く猛吹雪で足止めされ、同じチームの木島は高山病に掛かり、食料も残り僅か。そんな絶体絶命の状況の最中、ついに木島が息を引き取る。その後追い打ちをかけるように雪崩に襲われるが、奇跡的に助かった麻生は、山頂を目指す。そこで見たのは3メートルを超える巨大なオウムガイの螺旋だった。その後、麻生はオウムガイに興味を持つが、ある時、数秒先の未来を幻視するという現象に見舞われ、それをきっかけに麻生と同様に螺旋に興味を抱く人物達と出会うことになる。
 
といったあらすじ。

 
 


手足の指を失った壮絶な登山の果てに見たのは巨大な螺旋。そこから麻生の生活は一変するわけですね。数秒先の未来を見ることが出来るようになる、というあらすじから、その能力を駆使して自身に降り掛かる様々な問題を解決していく伝奇活劇・・・みたいな展開を予想していたのですが、内容は全くそんなことはなく、麻生はこの力をすぐに失ってしまいます。
 
幻視した未来を変えてみる実験によって、麻生は、万物を超越したような感覚に一瞬だけ触れる。少ないながらも現代まで生き残っているオウムガイと、多大なる繁栄の後に絶滅したアンモナイトの違い。それは各々が持つ螺旋だった。万物の進化には常に螺旋がついて回る。


 
生命とは、進化とは何かということを、氏独自の観点による「螺旋」というテーマで解釈していくちょっと哲学的な小説ですね。読む程に彼の描く世界観に引き込まれ、氏の文章の読み易さも相まって非常に面白く読めた作品・・・なのですが、残念ながら未完結。
 
全3部構成らしいですが、本作「月に呼ばれて~」では、1部と2部のプロローグだけ描かれています。1部の最後で、麻生とある重要人物が邂逅するところで幕を閉じていて、先がすごく気になるのですがいつ読めるのかしらん。
 
アニメ・天元突破グレンラガンでも、「螺旋」と「進化」が重要なテーマになっていましたが、本作や、夢枕獏氏の螺旋をテーマにした別作品「上弦の月を食らう獅子」が一部モチーフになっているとか。私も本作読んでいる時に真っ先に思い出したのがグレンラガンでしたねw
 
上弦の月を食らう獅子もそのうち読んでみたいなあ。

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折原一氏の倒錯のロンドです。
 
主人公は山本安雄、推理小説家を目指す無職の青年。五年間の研鑽を経て完成した受賞確実の傑作「幻の女」の原稿が何者かに盗まれてしまった。途方に暮れた山本だったがある日推理小説新人賞の受賞作に「幻の女」を発見する。これを皮切りに盗作者と原作者の駆け引きが始まる。
 
 
と言った感じのあらすじ。
 
折原一氏と言えば、叙述トリックに情熱を注ぐ叙述トリックの大家といってもいい作者として有名です。倒錯のロンドは、その氏のデビュー作と言ってもいい作品です。昔ながらのミステリのように「挑戦状」みたいなものも用意し、最後にはページ参照まで注訳しながら丁寧に小説のからくりについて解説してくれています。本来こういったメタ的な文章は、感情移入出来ず、物語としての完成度を損なうものですが、氏の作品はこういったトリックを楽しむエンターテイメントなのでしょうから、これもまた一興かなと思います。
 


以下完全ネタバレとなりますのでご注意をば。
 








 
 



 

 
というわけで、倒錯のロンド。うーん途中までは予想出来ても、中々一本になるまで想像が及ばないんですよねえw そこが私の読解力と注意力と想像力の無さを表しています。山本に天啓みたいなのが下りて急に筆が進んだ時は、産みの苦しみを十分に知っている作者がそんな都合の良い展開を描くとも思えず、なんか丸写ししたんだろうなーとは予想出来たんですよ。で、そうすると山本は狂ってしまっているので山本の手記自体はあまり信用出来なくなる。今度は白鳥の方ですが、彼も短編の一本すら書けないという体たらくでしたので、もしかしたら彼自身も誰かの盗作で成り上がった人物なのかな、と邪推してしまいました。白鳥≠永島であることはなんとなく予想していたんですが、永島が原稿を盗んだ事件と、山本が原稿を盗まれた事件が別なのかな?とか変な方向に考え始めてしまってパニックでしたねw
 
視点が切り替わって、それぞれの思惑や駆け引きが楽しめる点も面白かったですね。しかし山本の親友の城戸はすごい良い奴でしたねえ・・・。山本の病状も知っていたんでしょうし、100万円で友情が修復出来るなら安いもんさ!とか何この好青年。山本なんて同情の余地はあるものの、五年間ニートで、新人賞の応募も半年以上もダラダラして何も書かなかったダメ人間ですよ。そんな人間に無償でワープロで文章打ち直してあげるとか、良い奴過ぎるだろう。
 
いやーでもこの作品本当に乱歩賞与えて欲しかったですよねw 乱歩賞を取って初めてこの作品が真に完結する訳ですから。いや、まあそんな理由で章もらえちゃダメなんでしょうけど、作中の巧妙なトリックとその面白さは十分にそれに値するものだと思うほどでしたし。
 
しかし叙述トリックを用いた作品は色々と扱いが難しいですねえ・・・。折原一氏や乾くるみ氏のイニシエーションラブなんかは、最初から叙述トリックであることを念頭に置いて、それを暴くつもりで挑戦するのが一番作品を楽しめる作風。乙一氏や伊坂幸太郎氏なんかは、物語に面白さと情緒を与える一つのアクセントとして叙述トリックを取り入れている作風。後者の場合は叙述トリックものであることを事前に知ると楽しみが半減してしまいます。どちらが好みかは人それぞれでしょうけどね。

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というわけで、逢坂剛の百舌の叫ぶ夜です。
家に積んであった小説の中から適当に見繕ったものです。・・・多分長門100冊の影響で買っておいたものだと思います。

 
自身を百舌と自称する殺し屋やターゲットの筧を尾行していた。しかしその筧は目の前で周囲を巻き込み爆死してしまう。場面変わって新谷和彦が赤井という男に連れられるシーン。そこで新谷は崖から突き落とされてしまう。さらに場面は転換し、一本のビデオテープを見る男のシーン。その映像の中には無残に殺されていく捕虜が映し出されていた。復讐を誓う男。

 
これが導入部です。既に情報量が多すぎてわけがわからないですが、このように本作は、誰か一人が語り部となって物語を引っ張るわけではなく、様々な人間の視点で展開されていくサスペンス小説です。新宿で起きた、爆破事件をきっかけとして様々な人間の思惑が錯綜し、物語は進みます。
 
文章は非常に硬派な感じで、余計な比喩表現等は殆ど使われていません。ミステリ小説でもあるみたいですが、それよりは事件を追っていく公安の倉木、捜査一課の大杉、そして殺し屋の百舌の動向をひたすら見て楽しむのがベストかと思います。
 
以下ネタバレなのでご注意をば。
 
 
 
 
 
 

本作にはトリックの肝として叙述トリックが組み込まれています。といっても叙述トリックといっていいのかどうか微妙なところですが、少なくともこの小説が1980年代に書かれたとは思えないですね。謎の殺し屋だった百舌ですが、中盤までは赤井達に殺されかけた新谷和彦と同一人物と見せていたのが、実はなんと双子の弟の宏美だった、というトリック。そして彼は子供の頃から父親に娘であるように育てられて、和彦の妹として生活していた、という当時からすればなんとも斬新な内容でした。いまから30年以上前に男の娘ですよ!?どんだけ時代を先取りしているのですかこの御方はw

 
たしかに今から見れば記憶喪失であるとか双子であるとかは多少陳腐な設定に見えてしまうのでしょうが、それを補って余りある内容の濃さ。倉木や大杉といったキャラクター達の濃さもまたそれを助長しています。この小説の面白いところは上記のようなトリックもあるのですが、一癖も二癖もある刑事達の熱い心理戦にありますね。倉木と大杉、どちらも理念は違えど非常に優秀な人材です。

 
もう一つ、作中では時系列トリックも仕込まれています。章が変わる際の番号の位置で、その章が現在を描写しているのか、過去を描写しているのかがわかるようになっているのですが、個人的にはここまでは要らなかったかなあと愚考。ただでさえ複雑な事情が錯綜する事件が、このせいでさらにチンプンカンプンになってしまうのですよね。いや、まあ私の読解力がないだけなんですけどw 本気であれこれ考えながら読みたい人には骨太で良い作品ですが、物語を楽しみたいだけの人にはとてもオススメ出来ない作品ではあります。
 
あとは明星美希という女刑事が登場しますが、主人公の一人として活躍しそうな雰囲気を醸し出しながら殆ど目立った活躍無しという体たらく。この娘要らなかったんじゃね。唐突に倉木に惚れてたりとかちょっと意味分かんないし。
 
本作は、公安警察を描く百舌シリーズの第1作だそうで、これ以降の作品にも倉木は登場するみたいです。倉木は正義の象徴である警察官とは思えない程、冷徹で冷静で、どこか狂気を孕んでいる面白いキャラクターなのでこちらもチェックしてみたいところですね。

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「唯一の人間なんて、かけがえのない事柄なんて、ない」
 
というわけで、ようやくリアルタイムで感想を書けるところまで到達しました。
セカンドシーズン最終巻として、めでたく発売となった恋物語感想です。
 
 
 
以下いきなりネタバレですので、ご注意をば。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まあそりゃあね、語り部がアララギさんでもガハラさんでもないかも知れないことぐらいは、誰もが予想してましたよ?でも、流石に貝木が語り部なんて予想してねえよ!この時点で、あ、こりゃサードシーズンあるなと確信しました。

 
忍野に比べて色々と出番が多くなっていた貝木でしたが、彼の内面が描かれ株爆上げの恋物語でした。恋物語の「恋」は、アララギさんとガハラさんのことや撫子の片思いも意味しているのでしょうが、貝木泥舟の恋を最も表していたといってもいいでしょう。
 
うーんしかしなあ。今更ガハラさんの家族を崩壊させたのが、ガハラさんのためだったとか言われてもなんだか後付に感じてしまうんですよねえ。貝木は心理描写自体がツンデレなので本人は絶対に認めないでしょうが、2年前は完全にガハラさんと相思相愛だったといっても良いですね。
 
まあこの不自然な株上げはやはり死亡フラグだったのか、最後に報いを受ける貝木。花物語で出ていたんで、死んではいないんでしょうけど、怪異化しちゃってたのかも知れません。多分彼についてはこれ以上語られることはないんでしょうけどね。
 


 
というわけで恋物語。撫子の心の闇は想像以上に深く、それは一流の詐欺師である貝木の予想すら遥かに超えたものだった。嘘を即座に看破され(というか始めから信じてなかったんですが)、絶体絶命の貝木は、最後に撫子の部屋のクローゼットで見た真実を語る。・・・いや真実とか大層なものでもなく、それは撫子の描いた漫画であり、黒歴史だったわけです。
 
 
人間、本当に好きなものは中々表に出せないっていうのは結構ありがちです。で、1番じゃなくて、2番目ぐらいに好きなものだったら、結構人に言えたりする。それは多分自己保護みたいなモノなんでしょうね、多分。誰でも1番好きなものを否定されたらキツイですから。2番目のものだったら例え否定されても1番目を否定されたわけじゃないから平静を保てる。東方のアリスが常に本気を出さないのと同じ。自分そのものを否定された気がして後が無くなるから。
 
まあ精神的に強い人はこの例には該当しないんでしょうけどね。とにかく撫子はそういう人間だったわけです。貝木の言うとおり、本当に撫子のしたいことが漫画を描くことで、それはアララギさんへの気持ちより強いものだったのかどうかは分かりません。けれど、撫子が神様になって数ヶ月、漫画を描けなくなってもいいのか?と彼女を説得した人間は貝木ただ一人だったのも事実。
 
そして晴れて撫子は神様を辞め、普通の中学生に戻っていく。彼女を取り巻く状況は何も解決されていません。相変わらず可愛がられるという虐待を受け続けるんでしょうけど、自分の夢を自覚できたからなんとかなりそうですかね。わからん。
 
 
今回アララギさんの出番はほんのちょっとでした。八九寺が消え、撫子ともこれからはもう会えない。アララギハーレムは着実に終わりを迎えようとしていますねw 今回の話で改めて思いましたが、阿良々木さんと貝木って根っこのところで結構似てますよね、困っている人をなんだかんだ言いながら助けてしまうところとか。Fateの士郎とアーチャーが例えとして一番近い気がする。お互いに忌み嫌っているところも似てるし。
 
 
さて、予想通りというか当たり前というかやはりあったサードシーズン改めファイナルシーズン。本当にファイナルシーズンで終わるのか、もはや解りませんがとりあえず、2012年度に3作発表する予定みたいですね。それぞれ余接、蝋花、扇が語り部と思わせるようなサブタイトルでしたが果たして。

しかしなあ・・・新刊が出る度に新たな謎や伏線が増えるし、主人公のアララギさんが何やってたのかも不明だし、どこまでいっても物語シリーズは綺麗すっぱり終わる、なんてことはないんだろうなあと今更ながらに感じました。別に全部書けなんてことは言いませんが、意味ありげにあの事件は大変だったねーなんていったことぐらいはちゃんと書いて欲しいですね。正直ちょっとダラダラし過ぎな気がする。

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第4回ホラー小説大賞を受賞したという作品です。
 
保険会社の営業職である若槻慎二は菰田重徳の家を訪れるが、そこで菰田家の子供が首を吊った状態で死亡しているのを発見してしまう。事件の疑いが濃厚な事案であったことに加え、菰田家には以前にも自傷とも疑われる不可解な保険金請求があったことから、若槻の保険会社では保険金の支払いを保留していたが重徳は執拗に支払いを求める。疑念を抱いた若槻は、一連の事件の首謀者を重徳と推測、妻の幸子に注意を促す匿名の手紙を送るのだが・・・
 
とあらすじコピペ。
 
 
発表後に和歌山毒物カレー事件に酷似してることでも話題になったベストセラー小説です。主人公は上記のように保険会社の社員なのですが、よくある外回りの営業ではなく、会社で客と相対する内務の職業です。貴志祐介氏自身が保険会社の社員だったこともあるらしく、生命保険という制度の表と裏について非常に綿密に描かれています。応接室の灰皿は薄いものにしたり冷たい飲み物を勧めたりと細かい描写がリアルです。
 
さて、この黒い家。ホラーというジャンル自体それ程好まないせいもありますが、マジで怖い。小説読んで戦慄するなんて中々ありません。それでいて、いやそれ故か読み始めたら止まらない、先を知りたくなる魅力があります。怖さの類がまた特異であることが本作の面白いところですね。
 
日本のホラーといえば幽霊、怨霊、妖怪といったオカルトチックなものが一般的ですが、この黒い家は、そういった非科学的なものを一切出すこと無く、とにかく異常な人間を描くことだけで成立している小説です。描写がグロテスクだとかスプラッタだとか、そういう怖さではなく、単純に不気味、薄ら寒いといった怖さ。今隣にいる人が、もしかしたら殺人鬼なのかも知れない。そんな社会にあなたはいるんですよ、というのが恐怖感を煽る最大の演出ですね。
 
以下ネタバレです。
 



構成は非常に分かりやすく作られていて、読み易いのが良いですね。サイコパスだったのは菰田重徳ではなく、妻の菰田幸子だった、と判明した時の戦慄は半端じゃないです。本人に注意を促す手紙を送ってしまったこと、小学生の頃の作文が示す真実。もちろん予想出来る範囲なのですけど、主人公の心理がきちんと描かれていて感情移入しやすかったですね。
 
古来より得体の知れないもの、理解の及ばないものが一番怖いというのが日本人というか人間の本能だとされてきました。だからこそ原因の解らない疫病を妖怪のせいにしたり、なんとか自分達の理解の範疇に収めようと努力をする。現代ではこれらも科学的な根拠の元に解明され人間の理解が及ばないものは殆ど無くなっています。そんな時代だからこそこういった行動原理の分からない精神異常者が誕生し、最も身近で怖いものとして描かれるのかも知れません。

 
中年のひ弱な女性に過ぎない菰田幸子は数々の人間、同種の怖さを持っていた潰し屋の三善ですら殺してしまう。若槻と対峙した際も、その攻撃性が顕著に出ていましたが、相手の眼や急所を狙うことに何のためらいもなく実行出来ることに怖さがあるんですよね。乙一氏のGOTHを読んだばかりなのでこういった異常者が多い社会になってるんだろうか、とちょっと本気で心配になったり。これ10年以上前の小説ですし、金石が言っていたことが現実になってるのかも、見たいな。

 
また、先に述べた、保険という制度の現状と問題点や、心理学の観点からのサイコパスが生まれる土壌などもある程度解説されているため、社会派ホラー小説といってもいいのかも知れません。とりあえず一つ言えることは保険会社の社員には絶対成りたくないな、ということです(ぉ


 
若槻の恋人役として登場した恵も心理学に精通していて、きちんとキャラが立っていて良かったです。あれだけの目にあってもなお、生来の異常者なんていないと言える彼女は凄いですね。その彼女を作り上げたのが、異常とも言える両親だったのは皮肉ですが。

一応本作の〆としては若槻と恵が信じたように、異常者とは幼少時代のトラウマや家庭環境が作り出すものであり、それを改善することで彼らが生まれるような社会にはならないという結論ではありました。しかし菰田幸子が引き起こした惨劇があまりに鮮烈過ぎて、全然希望が見出せない感じですけどねw


とにかく読み始めたら止まらない、ノンストップホラーサスペンスです。オススメ。

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というわけで、乙一のGOTHです。
文庫版が薄いのに何故か二分割されているのが、非常に気になります。
この小説は「僕」と森野夜という二人が遭遇する猟奇殺人事件を描いた全6篇の短編連作小説です。
氏の文章は過度な装飾がなく淡々としていますが、それが作品全体に乾いた印象を与えます。


「僕」と森野夜は、人間の持つ暗黒面に強く惹かれる性癖の持ち主。その暗黒性はGOTHと称される。そんな二人は町で起きる奇妙な殺人事件に遭遇していく。


と、短篇集ですので、全編通してのあらすじとなるとこの程度になってしまいます。人間の持つ暗黒面とは死体とか猟奇殺人とかに興味を持ったりするアレです。普通の人ならブレーキを踏んでしまうところで迷いなくアクセルを踏み続けていられる人間達。・・・なんか幽遊白書でこんな表現なかったかな。刃霧要のところだったかしら。ついでだから幽遊白書で例えると黒の章の内容が人間の暗黒面そのものといっていいでしょうね。


以下いきなり完全ネタバレなのでご注意をば。





どれも面白かったですが、唯一犬だけはアンフェアだった気はしましたね。「私」がユカを神聖視していたのは分かるんですが、ユカを自分の主と言い、義父を殺す方法として喉元に噛み付くことを選んだのは流石に無理がある気がしました。ナイフを使う知恵があるなら、最初から包丁でもなんでも使えば良かったのに、というのは野暮でしょうかねえ。1話、2話ではミステリとしては古典といってもいいトリックでしたし、3話の「犬」で、急にリアリティを無くした動物視点の描写をするとはどうしても思えなかったので最初からユカが犬なんじゃないかと疑って掛かっていました。ですが、義父の喉元に噛み付いた時点で、やっぱり違うのかなあ・・・と思っていたのに。

とはいえ、乙一氏は、ライトノベルというジャンルの偏見を払拭したい気持ちもあったのですから、この短編集にそれぞれトリックを仕込んでいたのは素直に凄いと思いますけどね。6作の中では「犬」だけ少し違和感を感じたということです。


で、本作はこのミスでも2位を取ったりで、ミステリ小説として評価を得た作品なのですが、私的には文学的な面白さをこそ楽しむべき作品だったかなと思っています。


これは叙述トリックにそれほど慣れていないユーザーが陥り易い問題・・・というか私のことなんですけど、どうしてもミステリに対してこれは叙述トリックなんじゃないか?AとBは実は同一人物なのではないか、みたいな疑いを持ったまま読んでしまうんですよね。そしてその疑いが例え合っていようと間違っていようと、そんなことを思いながら物語を読み進めて感情移入出来る程、私は器用ではないのです。これでは物語として台無しですよね。

叙述トリック自体はもちろん素晴らしいテクニックなんですが、これを解答を提示される前に見破ってやる!なんていうユーザーの思考がそもそも間違いなんだなあ、と最近痛感しました。

GOTHについて非常に綿密に考察しているサイトさんがありました。その方曰く、騙されなかった人は人生の何割かを確実に損している、と断言されていましたが、正にその通りだと思います。変に根拠のない予想をしてやっぱりな、と勝手に落胆するより素直に騙されて、驚いて、作者に感服するのが物語を楽しむ秘訣だな、と思い直しました。

そういう意味では私ももっと素直にこのGOTHという作品を楽しむべきだったなあと思います。



脱線しましたが、本作の物語としての面白さはどこにあるのか。それは暗黒系で示される「僕」と森野のスタンスがまず挙げられます。ミステリとしての体を取っている作中で、「僕」は推理して犯人を追い詰めます。そこで犯人に自白させ警察に引き渡して事件解決、というのが一般的な流れです。しかし彼らの死に魅入られている異常性は、そうはせず、死体を発見しても通報しない、犯人に出会っても捕まえない。そもそも「僕」は真っ当な正義感も倫理観も持ち合わせていません。結果的に彼が推理して犯人に辿り着くのもひとえに犯人と、同種の匂いを持った人間と会いたいという欲求を満たすために過ぎないわけですね。

読み始めの当初こそ、「僕」や森野の猟奇趣味は、思春期にありがちの今で言う厨二病どストレートな言動に思えるのですが、彼らにはその種の人間に感じる一般人と違うオレSugeeee!みたいなナルシズムを感じないのですよね。乙一氏の作風自体にそういう匂いを感じないといった方が良いのかも知れませんが。森野は演じていた部分もあっただろうし、そこに至るトラウマもありますが、「僕」に関してはもう生まれついての化物ですので、そういった類の人間とは一線を画します。

殊能将之氏の「ハサミ男」でも異常者を描いていましたが、作中の刑事が殺人の動機なんてものは全て後付に過ぎないといった趣旨のことを述べていた記憶があります。GOTHでは明確な動機がある殺人は犬以外ありません。手が欲しかった、埋めてみたかった。彼らは別に恨みがあったわけでも目的があったわけでもなく、ただ自分の本能に従った、あるいは抗えなかった人々でした。



また、全6章に渡って展開されていく「僕」と森野の関係も面白いです。「僕」の森野に対する感情は一貫して「観察対象」に尽きる。そこに多少なりとも恋愛感情や歪んだ愛情が混ざっていたとしても基本的なスタンスは変わらない。対して森野の「僕」に対する感情は、最初は同種の仲間として。次は本当の自分に気付いてくれた唯一の人間として。そして結果的に何度も「僕」に助けられた彼女は、恋愛感情を抱きながらも、彼との根源からして異なる、絶望的なまでの距離を知り不安を抱く。

物語が進むに連れ、同種と思われた「僕」と森野はその違いを明確にしていきます。1~5話にかけて、猟奇殺人犯をも上回る異常者として表現されてきた「僕」。6話のトリックは神山樹と犯人の入れ替えトリックがミステリとしての肝だったわけですが、これまでの描写で「僕」が、殺人を犯してもおかしくない異常者であることに説得力を持たせていました。

ただ、元がライトノベルという先入観からか、主人公が殺人を犯して終わるというバッドエンドにはならないんじゃないかという淡い願望みたいなものがあったため、最後まで「僕」=犯人というのには疑問を抱いていました。こういう先入観はとことん邪魔だよなーと思う次第ですねw



「死を賭してでも姉妹の絆を取り戻そうとする姿を見たかった」と解説され、ようやく読者の理解の範疇に収まったと思われた「僕」は「僕」ではなく、単なるこの事件の犯人だった。そして「僕」こと神山樹は決して常人に理解されることはない、ある種のカリスマ性を持ったまま物語を終える。ミステリとして楽しめ、「僕」の魅力を損なうこと無く描いたこの6章「声」はGOTHの幕を閉じるに相応しい傑作ですね。

最後に森野は神山樹との違いを見せられ、同時に彼の自分への執着が無くなってしまうことに不安を抱いたんでしょうね。そして樹はそれはとうの昔に気付いていて、「言われなくても知っている」と答える。

この先の物語は想像するしかありません。真っ当な人間に戻っていった森野から神山樹は離れてしまうのか、神山樹を繋ぎとめるために、森野はGOTHとして自分を演じ続けるのか。まあ森野の異常者を惹きつけるフェロモンみたいなのは本物っぽいので、多分これからもまだ見ぬ彼らと邂逅するために森野に執着し、なんだかんだで守っていくんだろうなーとは思っています。

・・・ここだけ見ると恋愛小説みたいですね。というか森野可愛すぎです。森野を理解出来るのは樹だけだけれども、樹は森野の理解を遥かに超えた存在。そこがすごく切ない関係ですねえ。


というわけで総評。
ミステリとしても文学としても、恋愛小説としても楽しめる、名作。グロテスクな描写が多々ありながらも、決して読後感は悪くないという珍しい作品です。各短編が余韻を残して終わるのがまた乙ですね。本作でかなり乙一氏の作風が気に入りましたので、他の作品にも手を出してみようと思案中。


ちなみに漫画版のGOTH(大岩ケンヂ氏)も読んで見ました。叙述トリックはどうしようもないし、頑張っていた方だとは思いますが、出来れば小説の後に読んで欲しい漫画でしたね。非常にもったいないので。ビジュアルイメージはとてもマッチしていたと思います。特に森野ね。何あの可愛い生き物。

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宮部みゆき氏の代表作でもある火車です。ゲーマーとしても有名な氏で、その関連で私の愛するゲーム「ICO」の小説版を書いた人でもあります。そちらは既読済み。宮部みゆき氏の小説を読んだのはICOが初めてだったのですが・・・その評価は・・・推して知るべし。

ただ、それ以前から一流の作家さんであることぐらいは知っていましたし、評価を改めるためにも氏の代表作ぐらいは読んでみようと思って本作を読み始めたわけです、はい。




で、このタイトルにもある火車とは葬式や墓場から死体を奪っていくという妖怪のことで、その特性からある女性の失踪事件に纏わる謎を貫く鍵となっています。

休職中の刑事・本間が親戚から失踪した婚約者を探して欲しいという依頼を受ける。捜査を進めると、その婚約者・関根彰子は自己破産経験者であったが、その手続をした人物と依頼人の婚約者であった人物は容姿も性格も全く違う人間だったことが判明する。本間は本物の関根彰子に成り変わった女性を追う中で、様々な人間と接触し、彼女の過去とその人間性を知ることとなる。

といったようなあらすじです。






以下ネタバレありですのでご注意をば。







あらすじだけだと別段、よくありそうな事件に思えますが、本作の魅力はその構成にあるといっていいでしょう。犯人役が最後の最後まで実際に出てくることはなく、その動機を語るシーンもないという徹底した構成。このミステリーとしては特異といっていい構成と演出は他の作品では味わえないものだと思います。ただそれが人によっては消化不良だったり、単純につまらないという評価にもなってしまうのも仕方がないのですが。

ユーザー側が推理する余地があまりないため、推理小説の括りには当てはまらないと思います。社会派ミステリーというのが一番しっくりきそうですね。1992年の作品ですが本作の重要なテーマである消費者金融についての云々は現代にも通ずるものがありますね。こうした背景から一種の経済小説とも取れるのかも知れません。あるいは社会風刺も込められてるのかも。


本作の面白いところは、終盤では、赤の他人と思われた関根彰子と、新城喬子の接点が判明し、バラバラだったパズルのピースが一つになっていくのですが、決定的な証拠があるわけではなく、全ては本間の妄想に過ぎない可能性すら残されていることですね。何せ犯人の自供は描写されていないのですから。しかし彼女の過去を追うことで、彼女が何を考え、どういう理念で行動していたのかが想像出来て、新城喬子がどのような人間だったのかは出会う前に全て解っていた。だからこそ最後に語られることはなかったわけですね。事件を追っていた本間刑事も幼馴染を殺された保も、彼女を憎むことはありませんでした。ただ、会って話がしたいという思いがあるだけ。

特に印象的だったのは、ラストシーンはもちろんのこと、新城喬子の元夫・栗田が語った回想。実の父親を死んでいて欲しい、頼むから死んでいて、と念じながらページをめくる彼女にはどうしようもない気持ちを抱かせます。


関根彰子の自己破産手続きをした弁護士の「多重債務者となる人間は、結局どこか本人に落ち度があるからだ、と決めつけていませんか?」という問いは、読者の多くがハッとさせられたところだと思います。たしかに私もテレビでの紹介や周りの人間を見て、どうしてああも刹那的に生きられるのだろうと思うことが多々あり、心のどこかで彼らを見下していた節があったことを指摘されたようでドキリとしました。

しかし、その後の弁護士の話を聞いても、それって結局本人の落ち度じゃない?と思うような事柄しか出て来なかったのは肩透かしでしたけどね。サラ金の借金を返すためにサラ金から金を借りる。一時しのぎにしかならないようなことを(やむを得なかったとはいえ)繰り返す行為に落ち度がないなんて誰も言えない気がするんですけどね。同情の余地はあったとしても。この辺が経済小説として受け入れられなかった点なのでしょうか。

まあこんなことも、私が幸せな世界しか見ていないからこそ平気で言える暴言なのかもしれませんけどね。もう少し共感出来る事例を見せてくれたら評価は変わったと思うのですが。


というわけで総評としては、社会派ミステリーとしての秀逸な描写と、特異な構成・演出が映える一流の小説、といった感じ。十分に楽しめる作品ですが、展開自体は地味なので、エンターテイメント性は薄い作品ですね。

拍手


「誤解を解く努力をしないというのは嘘をついているのと同じ事なんだよ」


ようやく物語シリーズの刊行速度に追いつき、現存する最新巻、鬼物語が読了出来ました。これでセカンドシーズン最終話・恋物語の刊行を待つことができます。

以降ネタバレ感想ですのでご注意をば。






今回は傾物語とは逆、というか対になる構成になっていました。傾物語は八九寺真宵をキーとしながらもその内容は、傷物語の続編であくまで暦と忍の絆を描くものでした。しかし本作鬼物語は、遭遇した怪異ですらない「くらやみ」に関する忍の昔語りが大半を占めるものの、実質的な内容は、不自然な存在であった八九寺との別れに集約されています。表紙逆の方がいいんじゃね、と思った方が大半でしょうw

で、あとがき詐欺で定評のある西尾氏。今回もやはり猫物語(白)の裏で阿良々木さんが巻き込まれた模様の神原の猿の手に纏わる事件に関しては、臥煙伊豆湖の依頼だったということしか判明せず内容については不明なまま。おい、この話が明かされるとかいってなかったかね。傾物語のあとがきでも花物語はこの直後の話ですよ、とか詐欺ってたし、サードシーズン書くだろうなあ、とか言ってたのは逆にもう書かないぞって意思表示なのかも。

暦とのペアリングが切れてヤバそうだったのも実は忍には危険はなかったし、阿良々木さん自身は今までに比べればそれほど危険ではなかったというオチ。



さて、八九寺真宵の存在が不自然だったことは誰もが承知していたと思います。化物語で彼女の物語が一応の解決を見たにも関わらず、二階級特進で現世に残った時は、ヌルイけどコメディたっぷりの作品だしこんなものかな、と思っていました。そして物語が展開していくに連れ、彼女はマスコットキャラクター的に扱われそこにいるのが当たり前になっていきます。

しかし、自分と向き合うことがテーマであり、とかくシリアスなセカンドシーズンでそのままでいられるはずもなく、最も残酷な現実と向き合うことになった彼女。それは自然な展開ではありましたが、阿良々木暦が納得出来るわけもなく、取り乱して八九寺をなんとか現世に留めようとする。そんな彼を優しく諭し、十分に楽しかった、幸せだった、と笑みを見せる彼女は年不相応に大人で、傾物語で出会った平行世界の彼女を思い起こさせる姿だった。

で、感動的な別れのシーンが描かれたわけですが、後日談で忍野扇が、本当にいなくなったのならね、とか意味深な事言うから本当に八九寺が成仏したのか分からなくなってきました。叙述トリックを持ちだして揶揄してましたし、彼女と再会する余地も意外と残されている気もします。彼女が無くなって十年立つ訳ですし、陳腐ですけど同じ11歳の八九寺真宵の生まれ変わりが既に存在しているとかね。ただもしその辺を描く場合サードシーズンとなるのは間違いなさそうですね。まあ臥煙姉妹やらエピソードとの共闘やら色々な伏線を張りっぱなしだし、その辺含めてやはりサードシーズンあるのかなあ。恋物語だけで解決するとはとても思えないし。

・・・とかいってみましたが、どんな結末にしろ阿良々木さん達と楽しい時間を過ごした八九寺真宵が帰ってくることはないんだろうな。西尾氏の今までの作風から見て、そんななまっちょろい話を描くとは思えない。阿良々木さんはきっと全部受け止めてずっと引き摺りながら必死に生きていくしかないんだろうなと思います。ガハラさんや委員長のように。



余談ですが、私が愛してやまない漫画家・藤田和日郎氏は、作中のキャラは登場した時点で最後に死ぬかどうかを決めているとか。うしおととらもからくりサーカスも終盤になるとガンガン人が死ぬ漫画ですが、その生死を分けているのは後ろめたい過去や後悔の人生を歩んできた点があると思います。例え今が善人であっても等しく裁きが与えられる。しかしその散り際はかくあるべしというか、さんも秋葉流も、阿紫花もヴィルマも皆、過去を払拭し浄化されたかのような満ち足りた顔で逝きます。

で、西尾氏も多分この「八九寺が消える」という結末は最初から決めていたことで、鬼物語はその花道として用意された作品だったんだな、と感じました。彼の作品では不自然な存在は決して許されず等しく罰が与えられるのでしょう。モラトリアムがあればこそ裁きの瞬間が映えるわけですが。



じゃあ次に裁きを受けるのは誰なのか。神原、羽川、戦場ヶ原は自分と向き合うことで不自然さから脱却することに成功しました。千石撫子は現在に限りますが、クチナワの怪異として至極自然な存在です。結末はこれからですけどね。

で、残るのは阿良々木暦と忍野忍。一応、殆ど能力を失った吸血鬼とその眷属という関係であるので、怪異としての存在に不自然性はないと語られていましたが、どう見ても不自然だと思うんですよね。都合の良い時に吸血行動を行い、超人的な力を得られる。リスクもなし。吸血鬼としての怪異性って人間を捕食し、場合によっては眷属にすること、なわけですが、彼らのどこがその怪異性を示しているというのか。そんな都合の良い状態が自然であるはずもなく。恋物語でそこまで描かれるかどうかは微妙・・・というか多分描かれないでしょうが、物語シリーズの〆として、彼らの関係はいつか終わりが来るだろうと予想しています。




さて、物語の主軸ではなかったのものの、忍の過去が大方明らかにされました。彼女はあっけらかんと語っていましたが、阿良々木暦が感じたように自分を神と慕ってくれた村人達や、神としてではなく対等に扱ってくれた初代怪異殺しを失った「くらやみ」に纏わる神隠しの事件は彼女に暗い影を落としたに違いありません。幾度と無く阿良々木暦さんに対しフォローしてたのがなんか可愛いかったですが、初代怪異殺しとの関係は語られた描写程軽いものではなかったんだろうなーとか勝手に想像しています。

彼女の昔語りは自分が神であるという誤解を解く努力をしなかったがために天罰が下る、という最後の八九寺との別れへの壮大な前振りであるので淡白ながらも重要な意味合いがありましたね。


本作の全体的な感想としては、展開に驚かされることもなく、八九寺との別れ以外は淡白な内容でした。そしてその別れ自体もここまで引き伸ばされた予定調和といったところですので、感動はあるものの本作品が特別評価出来るという内容では無かったのも事実ではあります。

物語シリーズもいよいよあと1巻。ガハラさんが語り部になる、みたいなことがメタ的に語られていましたが、普通に阿良々木暦視点な気もするし、ハイブリッドだったりするかも知れませんし、そもそも絶対に撫子の事件が語られるという保証もないので(今作で改めて感じましたが)、あまり期待しないで待つのが良いかな、と思いました。

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はい、というわけで囮物語感想です。

やはり八九寺が異例だったようで、本作も主役の千石撫子視点で語られる、自分と向き合う物語です。さて、本作については何を書いてもネタバレになってしまうので、早速ネタバレ注意ということでお願いします。




まさかの次回へ続くオチ。今まで伏線は散りばめるものの一巻で完結しなかった作品は無かったのでかなりインパクトがありました。このことからも氏のいうように、物語の締めに向かっている感じがありましたね。そしてまさかの撫子ちゃんラスボス化。いつものように阿良々木&忍が怪異を払って終わり・・・とはなりませんでした。バッドエンドです。


さて、セカンドシーズンは、既刊を鑑みてもキャラクターを壊す物語であったことは間違いないわけで、本作も例に漏れず、壊しに壊しまくっています。千石撫子というキャラクターに対し、失望した人も少なくないでしょう。物語中で撫子は羽川や神原以上に、否定され続けています。そして撫子自身も自分のダメさにホトホト嫌気が差しながらもそれを改善しようする意思もない。おとなしくて可愛くて、庇護欲を掻き立てられる彼女はそこにはおらず、無気力で自分勝手で真性のダメ人間が描かれているのです。あとがきで作者が撫子がとことん可愛いだけの小説です、と述べていましたがこれは皮肉たっぷりの表現だったわけですね。

一人称を「撫子」と名前で呼ぶ撫子。私的にはKanonの佐祐理さんを真っ先に思い出すのですが、その理由も似通っています。自分を自分として見れない、認めたくないその気持ちが名前≠自分となり、自分自身を他人ごとのように、俯瞰的に見るようになってしまった。まあ人間性は真逆といってもいいぐらい違うのですけどね。

余談ですが、こういう風に自分の名前を一人称にするキャラは古今東西結構いるとは思いますが、佐祐理さんや撫子のようにその背景が描かれているキャラって殆どいないんですよね。キャラの記号としての一人称の違い程度で扱われることが多いです。そういう背景のない自分を名前で呼ぶキャラは正直嫌いなのですが、そこに背景がつくだけで結構気に入ってしまうことが多いあたりミーハーなんだなあ、とか思ったりw



で、撫子の内面を巡るこの物語。シリアス一辺倒なのかと思ったら、意外にも笑わせてくれたのはポイント高いですね。クチナワとの会話もテンポがいいし、月火との会話なんてハラハラしたし。「な、なんのことかね・・・。」「しょ、証拠でもあるのかね・・・。」の辺りとか最高w なんだかんだいっても化物語の登場人物ってまともな人間性(≠まともな人間)を持った人物が多いので、真性のダメ人間である撫子視点は中々面白かったです。そして月火ちゃん正論過ぎるけどマジで怖いから。

クチナワの謀略に拐かされた可愛い撫子ちゃんをカッコイイ暦お兄ちゃんが颯爽と駆けつけ一件落着。みたいなのが王道のストーリーだったのでしょうが、西尾氏がそんなものを描くはずもなく、現実はなんと全部撫子の妄想で、全ては自分の都合の良い解釈によるものだった。まあきっかけは忍野扇の煽動によるものだったので、彼女(彼?)が黒幕とも言えるのかも知れませんが、撫子が行ったことは全て自分の意思だったわけです。公園の砂場を掘ったのも、教室でキレたのも、阿良々木宅に侵入したのも、全ては願いが叶うというオカルトアイテムを手にするために。

ガハラさんも忍も彼女の天然の可愛さを「魔性」と評していましたが、正にそれですね。この辺り凄く、家族計画の青葉姉さんと茉莉の関係を思い出すのですが、私だけですかねえ。



彼女の内面のダメさに、愛想が尽きた人も月火ちゃんのようにウザッたく思った人も沢山居そうですが、結構共感しちゃったのは多分私がダメ人間だからなんだろうなあw 

おとなしいから良い子な訳じゃない。当たり前の事なんですが、これって未だに勘違いされやすいですよね。こんな事やるような人に見えなかった、今まで問題を起こしたことはない、とかよくありますが、その人と深く付き合わずに外面の情報だけでよく人について語れるよなーとかいつも思うわけです。助けを求めないと助けを求めていないことにはならないように、何も喋らないからって何も意見がないわけじゃない。クチナワは撫子の心情を吐露していた訳ですけど、あーあるあるって思いました。

全体的に撫子の内面が自分を見ているかのようでもの凄い痛かったですね、正直w 



で、なんと撫子VS暦の最終決戦はガハラさんの機転により、卒業式の日まで延期されることになりました。半年間のモラトリアム。ガハラさんって身体的には全く普通の人間なのに、この溢れ出るカリスマと無敵感は一体なんなんだ・・・。忍野だか貝木が天才とは人より早く思考出来るやつのことだとか言っていた気がしますが、正しくガハラさんが該当しますね。阿良々木さんへのアタックといい電光石火という言葉が似合う御人だわ。素敵。

花物語はセカンドシーズンの後日譚であり、阿良々木さんや羽川、ガハラさんの生存は一応確認されています。このため、撫子ラスボス化による彼らの殺害は無かったものと推察されますが、西尾氏だしこのまま本当に丸く収まるのだろうか。撫子について誰も語っていないため、彼女が死亡してしまうというオチも考えられます。

ただ、丸くは収まらずともなんとなく撫子が死んで終わり、という結末にはならないだろうなとは予想しています。というのも彼女は確かに基本的にダメ人間なのですが、教室でキレた時に放った言葉は汚いながらも至極真っ当な正論です。小説のキャラクターにこんな事言うのもなんですが、中学生の時点であそこまでちゃんとクラスの事や将来の事とか考えてる人って普通居ないんじゃないかと思うんですよね。

少なくとも私はもっとずっと馬鹿でしたw 月火ちゃんは達観し過ぎて別格ですけど、撫子程に真面目に考えてる人だって早々いないですよ。青春だなんだと熱いことに斜に構えちゃうお年頃ですし、あの頃にもっとこうしておけばなーとか、大人になってからようやく気付いて後悔するのが普通なんじゃないかな。そんなことをあの年齢で気付けて、真顔で嫌な思い出なんて塗り替えようぜ!なんてことをまがりなりにも言えた撫子って委員長気質なんだと思います。それが彼女の持つ本当の個性。

撫子が本当に救いようの無い駄目人間ならば、討伐もやむを得ないのかもしれませんがこういう素敵な個性を持っている彼女ならば、きっと自分と向き合い直して戻ってこれると信じています。



ということで、囮物語。
結構引いてしまった人もいるような気がしますが、私は好きな作品です。非常に先が気になる作品で、この先の恋物語で結末が描かれるであろうため、単体での評価が難しいですけどね。

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というわけで、花物語読了しました。


今回は、神原駿河が主役、ということで猫物語(白)の裏で繰り広げていた物語がついに語られるのかと思いきや、時系列的には最も後で、阿良々木暦達が高校を卒業していった後、一人残された神原の物語でした。

必然的に、語り部は神原となります。むう・・・あれか、やはり傾物語が異例だったということなのか。

以下ネタバレ感想です。






一言でいうなら、アララギさんが言ったように、神原駿河の青春の物語、なんでしょうね。実際に喋ったことはなくても、同じバスケットボールの選手でライバルだった沼地蝋花と再会し決着を着けた。これだけだと本当にスポコン物。

しかしそこは物語シリーズ。沼地蝋花は、悪魔のパーツを集める不幸コレクターであり、自分の死に気付いていない怪異でもありました。価値観の違う相手に憤りを覚え、ふいに消えた抱える罪の象徴でもある猿の手に戸惑いながら、神原は自分なりの結論を導き出し成長します。

神原の視点での物語なので、明るい感じのストーリーかと思いきや、コントは猫物語(白)よりもさらに少なく、というか殆ど無かったように思えます。羽川同様、彼女の視点から見る彼女自身は、バカで変態で底抜けに明るく前向きな神原ではなく、全く違った印象を持たせます。

この物語もテーマは物語シリーズで一貫している自分と向き合うことであるのですが、神原の場合は、それは「卒業」という言葉で表現されています。委員長と同様、やはり彼女自身の視点になって初めて分かるのですが、彼女は意外にも非常に周りに影響されやすい性格なのですね。戦場ヶ原や阿良々木暦、母親、貝木泥舟。色々な人に色々と言われた彼女は最後に正しくもない、間違ってもいない、ただ単純に自分の意思で、沼地蝋花との勝負に勝ち悪魔のパーツを奪うという選択肢を選ぶ。

結末も綺麗で、上手く纏まっている作品でした。・・・が、なんというか私自身がそこまで神原を好きではないというか興味がない(ぉ 上に、上述したように明るくて馬鹿な神原が描かれている訳ではないので、そこまでのめり込むことが出来なかったというのが正直な感想。内容や、テーマ的には悪くなかったんですけどね。うーん、コントがないのは今作に始まったことでなし、何が不満だったんだろう。多分、猫物語(白)の裏で展開されていた神原が関係していたらしい事件が語られるものだと思っていたら、神原視点の全然関係ない話だったという肩透かしというか引っ張り具合に既にテンションが下がり目だったのが原因なんだろうなあw

ちょっと消化不良だった感じがあるのでいつかもう一度読み直したい作品です。

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「いまならわかるぜ。トランクスの気持ちが」


というわけで、傾物語読了しました。

物語の構成的には涼宮ハルヒの消失とかに近い感じ。王道のタイムトラベルものですね。夏休みの宿題(笑)を間に合わせるために過去へタイムスリップする、阿良々木暦と忍野忍。しかしそこは11年前の八九寺真宵が死ぬ前日だった。こんなプロローグであり、表紙が八九寺メインでありながら、その内容は傷物語アフターといっていいもので、主役は阿良々木暦と忍野忍の物語でした。八九寺の存在がキーになっているのは確かですが、まさかあまり出番がないとは思いませんでした。てっきり猫物語(白)の裏で起きた事件が八九寺の視点で語られるのかと思っていましたので。そして忍野がハルヒでいう長門みたいな役回りで、本当になんでもお見通し過ぎて、流石に引くわw あの人本当に人間なのか。





で、いきなり伝奇モノのジャンルをぶっ飛ばしてSF小説になっちゃいました。とはいえ、科学的な説明があるわけでなし、吸血鬼としてのなんかすごい力でタイムスリップを実現するのでそれ程身構える必要がないのは良いのかも知れません。あくまで舞台装置としての時間旅行なので本質はいつもの物語シリーズとなんら変わりはないですね。

11 年前の過去で八九寺を交通事故から救った阿良々木暦。そして元の時代に戻ってみると、世界が滅亡していた。上述の点でも似非SF小説なのでパラドックスを解決するためか、物語のテーマ故か、平行世界が存在する世界観ですね。そして世界を滅ぼしたのは、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードその人でした。怪異である八九寺真宵と出会わなかったその世界では、阿良々木暦はつばさキャットの際に、忍の助力を得られずにブラック羽川に殺されてしまった。その後に忍は吸血を行い生まれた眷族はねずみ算式に増え、わずか2ヶ月程度で世界を滅亡させてしまったという平行世界。

キスショットが死ねば人類が元通りとかちょっとご都合主義なところも感じましたが、あくまで阿良々木暦と忍の絆を確かめる、あるいは深めるストーリーという意味ではなかなか読ませる内容でした。
このルートの阿良々木暦も精一杯頑張った、とかの辺りはなんとなくマブラヴオルタを思い出しましたねえ。しかし羽川やガハラさんは一体どうなったんでしょうかねえ。アララギさんを殺してしまった羽川はやはりガハラさんに殺されてしまってたりするのだろうか。あの世界の詳しいところも少し見てみたかった気もしたり。

傷物語でその後の影響を考えることなくキスショットを救ってしまった阿良々木暦は、傾物語では、八九寺も世界もどっちも救うことを決意しました。この辺りは随分成長した感じが出てましたね。しかし相変わらず元の世界に戻れないことが分かった時にすぐに忍とこの世界で一生暮らす覚悟をしちゃうのはなあ・・・。残された世界の羽川やガハラさんのことを考えれば、もっともっと悪足掻きしてしかるべきな気はして、その辺はまだ成長段階ということなのだろうか。


ということで、傾物語。流石に猫物語(白)程のインパクトはなかったですが、これはこれで面白い作品でした。

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本来同列に語るべき作品ではないのですが、セットで読んでしまったので一緒に感想をば。とりあえず、猫物語(白)は現時点で私が読んだ西尾維新作品で最高傑作だと感じました。


とはいえ、これは物語シリーズを通して読んで、阿良々木暦の視点で描かれた彼曰く「本物」である羽川翼を全て見てきたことが前提ですので、物語シリーズにおける(個人的な)クライマックスだったとも言えるかもしれません。それぐらい感銘を受けた作品です。

猫物語(黒)は、作中で幾度となく触れられながらも、語られることのなかったゴールデンウィークの物語。羽川翼に憑いた怪異「障り猫」に纏わる話でした。本作は西尾氏の分け方に準ずるならば、ファーストシーズン最後の物語ですね。これはもしかしたら阿良々木暦視点で語られる最後、という意味でもあるのかも知 れませんが。

対して猫物語(白)は、化物語の後日譚であり、初めて阿良々木暦以外の視点で語られる、羽川翼の物語です。完結して始まる物語。本物と呼ばれた彼女が本当に本物になる物語。


以下感想&ネタバレあり。






以前、何かの記事で、エロゲ等の所謂読み物ゲーは、創作の場としては割とバランスが良く優秀だと書いた記憶があります。しかし改めて思うと、この猫物語 (白)のような作品を生み出すのは相当に苦労するだろうなと思います。というのも読み物ゲーという場はいくら自由とはいえ基本的な縛りは少なからず存在していて、各ヒロインは 並列構造であったり、主人公が語り部であったり、物語はその作品中で完結すべきだったり、と色々な制約が存在します。もちろんそれらに縛られない作品も沢 山あるのですが、一つのビジネスである以上、上述のような縛りを守るべきだ、という傾向にあるのは確かで、実績があったりで余程売れる見込みがない限り半 ば冒険するような作品が生まれにくい土壌です。例えばFate/stay nightはエロゲで出せますが、Fate/Zeroは出せないって感じ。

実際の市場を鑑みても、内容を見てみれば上述の要素を守った作品が多いように感じます。それはラノベというジャンルでも同じことが言えて、そのラノベを原作とすることが多いアニメでも昨今は同様の傾向が見られると思います。

それはやはりビジネスであり消費者のニーズに答えていた訳ですね。で、その縛りの中で個性を出せた作品が人気作となる。

また、実績のあるメーカーの意欲作の例としては、KeyのRewriteやオーガストの穢翼のユースティアなどがあります。私は両方とも大好きな作品の一つ なのですが、どちらも培ってきたそのメーカーのお約束を破った作品であり、従来からのファンを少なからず失望させた作品でもあります。あくまで一般的な意 見から勝手に推察した評価ではありますが。


で、 猫物語(白)の話に戻ってくるわけですが、この作品もまた今まで物語シリーズで描いてきた、完全無欠の委員長、羽川翼というキャラクターを根本的に覆して います。揺るがず、献身的で平等でいつも正しかった彼女の善性は、この物語における幾多の登場人物との対話の中で異常性として表現されます。これは羽川翼ファンにとっては正に衝撃の展開だったはずです。語られなければ完璧なままだったはずの彼女。しかし本作では、一旦羽川翼というキャラクターを貶めながらもその内面、苦心、決意を丁寧に描き、終わってみれば比べる必要も無いほどに素晴らしく素敵な人物に成長させました。自業自得ではありますが18年のハン デキャップを背負いながら、悩み苦しみ、泣いたり怒ったりして「普通」の女の子として懸命に生きる彼女の姿はファースト・シーズンの頃よりも魅力的です。 自分自身を受け入れて変わった戦場ヶ原ひたぎに対し、今の方がずっと素敵だ、と彼女自身が思ったように。

こんな物語が果たして、小説以外のジャンルで可能なのか。主人公でも正ヒロインでもない人物をクローズアップしてその内面の変化だけを描く。ラノベというジャンルでも類を見ない展開だったと思います。


化物語第5話のつばさキャットで、阿良々木暦はブラック羽川を通じて羽川翼の想いを知る。私はこの時に、ああ彼女は自分で告白することも出来なくて可哀想だ な、だとか思っていました。そして猫物語(白)、つばさタイガーで阿良々木暦に助けられた彼女は、ついに告白する。想いは届いて、けれど彼には好きな人がいて、人生で初めての失恋を経験する。それは彼女が自分自身とちゃんと向き合ってから初めて受け入れた感情であり、これ以上無いぐらいの苦しみだったはず。

羽川が最も恐れていたのは、白無垢という個性を失ってしまう自分を阿良々木暦が果たして受け入れてくれるのだろうか、ということでした。それでも、羽川の手紙を読んだ上で笑って助けに来てくれた彼の行動と、変わる前も変わった後も羽川翼という少女をちゃんと見て受け入れることを宣言してくれた彼の言動に、自分自身を受け入れる。そして彼女がまず一番にしたいことは、自分の気持ちを阿良々木暦に伝えることだった。



今までずっと、ファースト・シーズン最終話の猫物語(黒)においても、阿良々木暦を軸とした楽しいコント集は多くのページを割いて描かれてきました。それが 不必要だったなんていうつもりは毛頭ありませんが、それがシリアスな面を持つこの物語シリーズをどこかコミカルな雰囲気に仕立てていたのは確かです。氏に セカンドシーズンと呼ばれる新たな化物語シリーズの猫物語(白)ではコントは相変わらずあるものの、その内容は羽川翼という少女の外面から内面まで全てを 描くことに注力したものです。本物あるいは化物とまで言われた彼女は本当は何も持っていない白無垢の少女だった。完全無欠の委員長は、けれど自分のことは 何一つ知らなくて、酷く歪な存在だった。負の感情を受け持つ、ブラック羽川、「苛虎」。彼らを受け入れ、自分自身を始めて知る。その物語は今までと比べるととてもシリアスで重い。しかしだからこそ心に残る作品だったとも思います。

いや、もうマジで感動した。感動した。それと同時に、私の中で委員長の存在はいつのまにかガハラさんを超えていたことに気付きましたw 既に戦場ヶ原が好き だと心に決めている阿良々木さんでしたし、つばさキャットで戦場ヶ原が好きだと明言してたし、つばさファミリーで、もう羽川は恋という感情を超えてしまっ た存在だとかも語られてたし、実際にガハラさんと恋人同士だし。委員長が阿良々木さんにとっての正ヒロインに成り得ないことはこれまでに幾度と無く示され てきました。それでもやっぱりショックを受けてしまったんですよ、彼女が振られてしまったことに。すごく悲しい、切ない。それはきっと私の中で羽川翼とい うキャラクターの内面を深く知り、幸せになって欲しい、阿良々木さんとくっつけばいいのになと思うほどに、魅力的に感じていたからなのでしょうね。

化物語は阿良々木暦という、一人の男の周りに集まってくるヒロイン達、というエロゲやラノベにおける典型的な構造に一見属しています。しかし、物語の早い段階で阿良々木暦は戦場ヶ原ひたぎというヒロインに心を決め、羽川翼という少女の盛大な振られっぷりが描かれました。これは簡単なようで中々出来るものではなかったと思います。ヒロインがちゃんと告白して、主人公がちゃんと断る。これを描けているラノベが世にどれだけあるのでしょうか。そんなシーンを描いてしまえば、今後の展開でその振られたヒロインと主人公が幸せになるような話は望めません。例え読者がどれだけ熱望したとしてもその可能性は失われてしまった。それでも羽川翼という少女はこの失恋を経験せずして本物になることは出来なかった。

「だけど伝わるんじゃ駄目なんだ。伝えなきゃ駄目なんだ。」

必要だから描かれた告白。私は痛みしか生まないような羽川翼の失恋をしっかりと描いた西尾氏を評価します。


猫物語(白)におけるガハラさんもすごく良かったです。っていうかなんだよ調教とかいってたから苦手なのかと思ってたら、委員長とメチャメチャ仲良い じゃんよ。もう親友みたいじゃん。頼れるお姉さまというか毒気の抜けた彼女は多分中学時代にカリスマ的人気を誇っていた頃の人格に近いのでしょうね。思え ば、ガハラさんと、羽川は非常に似た境遇の持ち主だったんですね。母親への感情を切り捨てた戦場ヶ原ひたぎと負の感情を切り捨てた羽川翼。スケールは違い ますが、同じ類の問題を抱えていた二人でした。そして羽川よりも先に自分自身と向き合うことが出来た戦場ヶ原と猫物語(黒)では、阿良々木に助けられなが らも自分自身と向き合うことは出来ず、問題を先送りにしてしまった羽川。順番が逆だったのならもしかしたら阿良々木暦の隣には羽川翼がいたのかもしれませ ん。

で、 今回で羽川翼の物語はひとまず完結したと言えますが、肝心の主人公・阿良々木暦は、どうにも裏でまた色々と巻き込まれている模様でしたね。次巻以降はまよ いキョンシーとかするがデビルとかってサブタイトルだったと思うので、猫物語(白)と同様に彼女らの視点で描かれ、明示的に阿良々木さんの視点で語られる ことはないのかも。


いやーしかし本当に猫物語(白)は良かった。物語シリーズは総じて面白く読めていたのですが、こんなにこの本を読めて良かったと思ったのは氏の作品では初め ての経験でした。しかしながら、猫物語(白)だけを読んでもカタルシスが足りないと思うので、オススメするなら、物語シリーズ全部読め!ってことになるん ですよね・・・。そこがネックかな。

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なんか完全にハマってしまってる感じですが、アニメ化も決定されている偽物語を読了したので感想です。偽物語は化物語の後日譚で、今まで名前は幾度も出たものの、出番がなかった阿良々木暦の妹・阿良々木火憐と月火のお話です。

ネタバレ有りですのでご注意をば。







上巻は自分の意志がない偽物の正義を掲げる火憐。下巻は自分自身が偽物である月火。それぞれ偽物をテーマとしたお話でありながらも前者は概念的、後者は物理的な問題、と全く異なるものを描いているのですが、その中でもアララギさんの理念は揺るがず一貫しているのは中々面白かったですね。


内容はいつもの通り、本編中2/3までは特に事態は進行せず、阿良々木ハーレムの面々とコントを繰り広げ、残り1/3で話をまとめる、といった非常に西尾維新らしい作品となっています。化物語以降ここまで読んできている読者の大半は西尾氏のコント目当てのはずなのでこの構成に文句を言う人はいないでしょうね。

ただいつにも増してアニメ化云々とかのメタネタが多くなっているので、苦手な人は注意かもしれません。個人的にも流石に食傷気味でしたw や、面白いところは面白いんですけどね。


化物語の後日譚である今作では、ヒロイン達は怪異や阿良々木さんとの出会いによって変化していっています。委員長は失恋からイメチェンし、神原は髪を伸ばし、撫子は阿良々木さんに積極的にアタック、忍も自分の中で結論を出した。そして我らが戦場ヶ原さんは上巻の貝木泥舟とのケジメをつけた後はなんとデレた模様。・・・というかなんでデレたガハラさんが全く出て来なかったのかが謎。何故出さなかった。面白く無くなったとかいいからさっさと出せよぶっ殺すぞコノヤロウ。そういえばアララギさんに謝る時にこれ以上ない程の屈辱に震えるガハラさんは良かったですね(ぉ 委員長の前ではガハラさんは借りてきた猫みたいになっちゃうのだろうか。

こういう風にキャラの容姿が変わるというのは創作物では意外と珍しく、特にアニメや漫画なんかでは髪型と髪の色でキャラを判別するのが常なわけですが、アニメ化までしているシリーズでそれをあえて崩す西尾氏は何気に凄い。まあこの現状を受け入れた、肯定したヒロイン達は作中でも語られていたように社会に溶け込むために日々成長していく、というのを表現したのでしょうね。イメチェンした委員長がヴィジュアル的にかなりヤバい(良い意味で)と思うのですが、動画で見てみてえなあ、おい!


上巻は大体全員の出番がありましたが、下巻は八九寺とのコントぐらいしかなく、前作ヒロインのファンは少し物足なかったかもしれません。八九寺贔屓されすぎだろうw その代わりにファイヤーシスターズとの会話劇が豊富でした。まあ面白いから良いのですけどね。ただ月火との会話シーンが少なかったのが不満点ですかね。下巻は月火が主役のはずながら、実際には上巻で兄ちゃんにデレてしまった火憐とのやり取りの方が多かったというオチ。あれだけ仲が悪いとか言ってたくせにメッチャメチャ仲いいですよね、この兄妹。当たり前のように言ってますけど互いのために死ねるって即答出来る家族がこの世にどれだけいるのよ。まあ件の歯磨きシーンとかはもはや禁断の領域に足を突っ込んでますけどw というかアララギさんの変態化が留まることを知らない。もう神原のことを変態だとか言う資格ないですよw


上巻そして何気に下巻でもキーとなる貝木泥舟の存在。上巻では潔い小悪党といった印象だったのが、下巻で株を上げるとはまさかの展開でした。「貝木ぃぃぃぃぃ!」は読んでて阿良々木さんの叫びとシンクロしてましたねw あれだけしれっと息をするように嘘を付けるのは凄いわ。本物になろうとする意思があるだけ偽物の方が美しいっていう貝木の考え方に少し心を動かされたのがなんかムカツきます。プラチナむかつく。

下巻の敵役の影縫さんは特に印象に残らなかったですね。結局貝木に全て持っていかれた感じ。僕っ子なんて忍にフルボッコにされただけだし。もうちょっと出番があればあるいはって感じでしたが・・・今後出てくればまた印象が変わるかも知れませんね、貝木みたいに。しかし、この辺はちょびっとアララギさんと忍の関係が便利すぎやしないかと思ったところです。困ったら吸血鬼としての力を発揮出来るようにして事態解決出来ちゃう・・・ってなると少し緊張感に欠けるよなあ。



「劣等感と一生向き合う覚悟があるのなら、たとえ偽物だろうと、それは本物と同じじゃないか」

「たとえ偽物だらけであろうとも、僕は世界を素晴らしいと思う」


上巻・下巻それぞれの終盤にアララギさんが語った言葉ですが、傷物語で自分の行為が偽物であったことを痛烈に思い知らされたアララギさんだからこその言葉ですね。散々妹達のことを偽物だと言っていた彼は何も批判していたのではなく、むしろそれを受け入れた上で誇りに思っていたのでした、というお話。同時にこの言葉は、この物語シリーズを貫くテーマでもあった偽物と本物という命題に対する一つの答えにもなっていますね。前半のコント劇からは想像も出来ないような少し深い内容になっていて、中々に考えさせられました。

月火は結局自分自身が偽物であることを本質的に知ることはなかったわけですが、生まれた瞬間、生まれる前から阿良々木暦の妹だった彼女は、偽物でありながらそれは本物と同質のものだったわけで、アララギさんは彼女にそれを伝えること無く現状を肯定することで、この物語の幕を閉じました。


上・下巻と偽物というテーマを一歩踏み込んで展開させ、纏められたこの偽物語は中々の良作だと思いました。ぱないの!

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はい、というわけで続けて読んでしまいました。化物語の続編・傷物語。今は色々な作家さんに挑戦している最中なので、同じ著者の作品を続けて読むというのは稀有なのですが、これもひとえに西尾氏の描く漫才劇に魅力を感じていたということなのでしょうね。特に傷物語は映画化も決定されているらしいので、とりあえず原作を知っておきたいという点もありました。




さて、傷物語。これはサブタイトルのこよみヴァンプからも予想出来る通り、化物語の前日譚、阿良々木暦の地獄の春休みを描いたものでした。忍野メメや羽川翼、そして忍野忍となるキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードとの出会い。どういう経緯でああいう状態を迎えてしまったのか、化物語へとつながる作品です。


化物語で最も魅力的だった会話劇は戦場ヶ原や神原、八九寺といったヒロイン達の面白さが支えていた、という印象を持っていた私は彼女らが出てこない前日譚
にはあまり期待出来ないのでは、という危惧がありました。

しかし蓋を開けてみれば、なんとも面白いじゃないですか。というかストーリーがしっかりと過不足無く描かれ、まとまっている傷物語は個人的には化物語よりも面白かったです。コメディパートも期待通り・・・というか期待以上のものを見せてくれました。委員長の出番が多かったのもありますけど、なんといってもアララギさんが自らボケに回ってくれているので、楽しい楽しいw ちょっと下ネタ多目というかアララギさん変態過ぎですけどね。この傷物語はアララギさんの価値観を揺るがせる程の内容だったわけですから、化物語と傷物語のアララギさんは少し性格が異なります。具体的に言うと傷物語の方がヒネた感じ。エヴァのアニメ版と漫画版のシンジくんの違いみたいな感じ。


そしてなんといってもこの物語の主軸はアララギさんとキスショットにありながらもヒロインの座は完全に委員長に持っていかれているのですよね。化物語ではそこまで魅力を感じなかった委員長ですが、傷物語を読んだ後はガハラさんに匹敵するぐらいのキャラになっていました。あれはアララギさんに惚れて然るべきだし、アララギさんが委員長に惚れてないのがむしろ不自然に感じるわ。

化物語の時点では言われるほど鈍感かなー委員長の気持ちとか流石に伝わらないだろーアララギさん可哀想だなーとか思っててマジすいませんでした。うん、アララギさん鈍感過ぎるわ。好きでもない男のためにあそこまで出来る人間居るわけ無いですよ。傷物語を経験していて化物語のつばさキャットにおける鈍感さは万死に値する。



委員長の魅力満載だった傷物語。ですがストーリーは学園異能バトルものになって、瀕死のキスショットを救った阿良々木暦は彼女の眷属となり、彼女を狙う3人のヴァンパイア・ハンターと戦うことになる。忍野メメの協力もありなんとか撃退し、キスショットの体を取り戻すことに成功した阿良々木だったが、そこで初めて自分の犯した罪を知る。

どうやって化物語の時点での阿良々木と忍の状態になるのかな、と思いながら読み進めていましたが、納得の展開でした。阿良々木暦は「加害者」であり、その罪を、忍という存在を一生背負うつもりであること。忍を見捨てればいつでも人間に戻れること。委員長に返し切れない程の恩があること。そして阿良々木暦にとっての春休みは地獄のような2週間だったということ。化物語でばら撒かれた数々の伏線が回収されていましたね。

全てを幸せにするご都合展開は不可能であり、忍野が妥協案として提示した結論は、みんなが少しずつ不幸になること。阿良々木暦は完全に人間には戻れず、キスショットは能力の大半を奪われ生殺しにされる。人間は恐血鬼という脅威を見ない振りをする。傷物語はバッドエンドで幕を閉じます。


結局はアララギさんのどうしようもないエゴでキスショットを生かした訳で、それは誰にとっても正しい選択ではなかったんでしょうね。それでも彼は、街灯の下で死にたくないと叫んだキスショットの姿を見てしまった。ギロチンカッターを食する人類の敵・吸血鬼の姿を見てしまった。強いメンタルを持った人であれば、キスショットを殺し人間に戻ったでしょう。あるいはキスショットの眷属として未来永劫に生き続けたのかも知れません。でもアララギさんは弱かった。そのどちらも選ぶことは出来なかった。そしてそんな彼だからこそ傷物語、そして化物語の主人公であったのでしょうね。


とりあえず、感想はこんな感じ。キスショットは出番がいまいち少なかったのが残念でしたが、その分委員長が大活躍してくれたので予想外の面白さでした。


やっぱり私は化物語のような短篇集よりは、しっかりとしたストーリーを一冊でまとめてくれた方が思い入れが強くなって良いですね。エンターテインメント性では、ヒロイン達の彩りもあって化物語の方が良いでしょうが、個人的な好みでは傷物語はすごく良かったです。というか委員長ってあんなに可愛いキャラだったのかよ。眼鏡っ娘で可愛いと思ったのは読子さん以来かも知れませんw

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というわけでいまさらに読んで見まいた。失礼、噛みまみた。アニメの方も見てみたいとは思うのですが、この作品の魅力の全てといっても過言ではない圧倒的なあの会話量が果たしてちゃんと上手くアニメ化出来ているのかが疑問です。



で、化物語。西尾氏自らが言うように100%趣味で描かれた小説とのことで、その内容(と値段)の割に正直中身が薄いのは否定出来ません。ストーリーと世界観的には京極夏彦氏の百鬼夜行シリーズに非常に酷似しているのですが、内容は軽く薄く、文章の殆どは主人公とヒロイン達の面白可笑しい漫才集で構築されています。

私が予想していたのとは大きく違う趣旨の小説だったわけですが、会話・・・というか言葉遊びが中々楽しくて、ヒロイン達も魅力的で面白かったですね。このレベルの会話をコンスタントに生み出せるのは凄い才能だと思います。化物語以降もいずれ読んでみようとは思っているので劣化していないことを祈るばかりですw


お気に入りのキャラは言わずもがなガハラさん。家族計画の青葉姉さんをさらに尖らせたような性格で大好物だわ。他にも神原や八九寺も面白いキャラでしたね。神原は元気系エロ後輩?今まであったようでこのキャラは無かった気がするな。八九寺はクラナドの風子っぽいイメージですかね、八九寺のが頭良いですけど。羽川や撫子は可もなく不可もなく。

あとは主人公のアララギさん。彼は基本的にツッコミ担当の朴念仁ですが、中々鋭くエスプリの効いた突っ込みが出来る優秀な主人公でした。Fateの士郎みたいに基本的に博愛主義で無作為に人を助けようとする精神の持ち主。それが原因でハーレム化というのがラノベではよくある展開ですが、アララギさんは、ガハラさんにきちんと心を決めているのが好印象ですね。


各自のストーリーは多少ミステリ要素というかアララギさんや読者のミスリードが含まれてて楽しめないこともないのですが、如何せん薄すぎるのがネック。個人的には第1話のひたぎクラブが一番面白かったですかね。下巻は話の展開も会話劇もいまいちパッとしなかった気がする。


不満点を挙げるならば、独特の言い回しが非常にクドいこと。けれど。それでも。それゆえ。みたいな表現とか体言止めも多い感じ。それでいて一冊の本の中に寡聞にして知らないという言い回しが何度も出てきたり、カッコつけてる割に語彙が少ない感じで少し滑稽に感じた部分もあります。このあたりは好み次第ですが、個人的には少し目についたかな。

あと細かいこと言うとアララギさんがヒロイン達との会話を楽しいって表現してるのが気になりました。読者からしたら面白い会話を読むのが目的ですし、楽しいって表現は間違ってないんですけど、アララギさんはあくまで物語の語り部であって、ヒロイン達に振り回される日常を送っている訳ですからそれを本人に楽しいって言われちゃうと少し気持ちが萎えるんですよね。端的に言うと作者からほらこの会話楽しいでしょ?って言われている気がするのですね。さらに言うと撫子との会話はあまり楽しくない(他と比べると)みたいなことをアララギさんにモノローグで言わせてるのも気に入らない。アララギさんってそんな打算的なキャラじゃないでしょうよ。読者の気持ちを代弁する必要なんてないのよ。


ストーリー上の不満点としては、化物語は上・下巻で忍野が町を去り、物語が一段落するわけですが、作中で何度も話に出していた忍との馴れ初めや、羽川の話が結局語られずに終ってしまったことがありますね。その後、傷物語や猫物語などで詳細が語られているのでしょうが、化物語としてきちんと完結して欲しかったな、と思います。アララギさんの異常なまでの自己犠牲精神の根源も全く語られていないので、正直主人公に対する感情移入はし辛いです。化物語最終話のつばさキャットも結局羽川は自分でアララギさんへの気持ちを伝えることが出来なかったわけですし、少し消化不良だったのはあります。


というわけで、化物語に関しては会話劇は非常に面白く、ストーリーも魅力的であるものの、少し内容が薄いかなという印象でした。今後の刊行を考えて敢えて伏線を多く残したのかも知れませんが、それが不満点です。


続刊も読んでみたいとは思うのですが、傷物語や猫物語は恐らく化物語の前日譚であるので、ガハラさんや神原、八九寺らとの会話劇が楽しめなさそうなのが、モチベーション下がるんですよね・・・w

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